落合宿本陣界隈の楽しみ方・中山道落合新茶屋~与坂までをご案内します

 

落合は、中山道534Kmのうち約4Kmが落合地区内

(新茶屋から与坂)にあります。

 

平成22年に落合宿から新茶屋までの2.Km

国史跡になっています。

 

 

ここには、歴史を感じるものがあります。

これからそれらをご案内しましょう。

 


中山道は、江戸時代の五街道の一つで、江戸日本橋と京都の三条大橋を内陸経由で結ぶ街道です

 

中山道は69次ある中、落合宿は江戸板橋宿から数えて44番目の宿です

 


ここからは落合宿をご案内しましよう

岐阜県に入り馬籠宿を過ぎると、図右上新茶屋の一里塚、ここから落合宿に入ります

 


平成の大合併における越境合併として2005年2月13日付けで長野県木曽郡山口村岐阜県中津川市に編入され、馬籠宿は中津川市となりました

 


新茶屋は、美濃国と信濃国の境にあり、江戸から数えて83番目の一里塚があります。

西側の塚は平成5年(1993)復元されました。東側の塚は、大きさや形はほぼ昔のまま残っていたものを

平成5年(1993)に発見され整備されたもので、斜面に残る塚では貴重なものと言われております。

 


新茶屋を後にし、落合宿に向かう途中、国史跡になった落合の石畳が現れます。

昔の姿を留めていた石畳三か所、70.8mが昭和39年(1964)岐阜県史跡に指定され、その後平成6年(1994) 全長840mが再現されました。

石畳は、急坂を越える旅人の便を図って造られたもので、同時に坂を大雨から守る役目も果たしていました。

木々に囲まれた石畳を散策、風情を楽しみながらの森林浴をお楽しみ下さい。


石畳を抜けたあたりを「かねいりば」と呼ばれています。


このお寺は、瑠璃山医王寺といい、本尊の薬師如来は行基作と伝わっています。

三河の鳳来寺、御嵩の願興寺と並び三大薬師の一つです。別名を山中薬師といい、狐膏薬で馴染み深い寺です。

境内には芭蕉の句碑、三重の層塔、しだれ桜などがあり、四季を通じて風情豊かな山寺です。

予約をすれば、お茶の体験もできます。  詳しくは瑠璃山医王寺にお尋ねください。 

電話 0573-69-3201

 



医王寺から下桁橋までの道は十曲がりで表現されているように、屈折の多い急な坂道でした。

 

 十曲峠を下る途中から下桁橋と落合宿それに恵那山を

 浮世絵師 歌川広重が描いた作品です。

 


この橋は欄干があり、両岸より木材で組み上げられた見事な橋と言われておりました。

洪水で何度も流失破損があり、一時中山道の付け替えの原因ともなっておりました。


中山道が湯舟沢経由に一時付け替えられました。(上図右側の道)

寛保元年(1741)から30年間は、ここが湯舟沢方面へ向かう中山道の分岐点でした。


下桁橋を渡り少し来たところに寛文9年(1669)から享保12年(1727)まで白木番所が置かれていました。また庚申堂もこの辺りにあり、お堂の前は下馬して通らないと落馬するほど神威が強い庚申様で、誰言うともなく下馬庚申と呼ばれていたと伝えられております。



幕府や藩の決まりを民衆に周知させる為、板札に墨書きして高く掲示されておりました。


=落合宿の概要=

宿場の東西入口に枡形があり、宿場は東から、上町・中町・下町まで三町三五間(390m)道幅2~3間(4~5m)両側に家並みが続き、宿場のほぼ真ん中辺りに本陣、道を挟んで脇本陣がありました。

道の真ん中には上町から下町まで用水が流れており、水路の上には常夜燈が建てられていました。

宿場は、文化元年(1804)に44戸、同12年(1815)にも55戸を焼失する二度の大火に遭っています。

天保の頃(1830~1843)の宿場は、戸数75戸 人口370人 旅籠屋14軒でした。

落合村は、木曽福島の山村家、久々利の千村家の二代官の均等支配地で村高は、太閤検地四百八十石二

斗一升。庄屋2・問屋2(本陣と脇本陣が庄屋と問屋をかねていました)

 

宝永六年(1709)貝原益軒が著した「木曽路之記」には

『落合の民家九十軒許。これにより西に猶坂々あれども、既に深山の中を出て、嶮難なくして心やすくなる。木曽路を出て爰に出れば、先我家に帰り着きたりたる心地する』とあります。

 

 


桝形は宿内の見通しを遮るために、宿場の入口の道を直角に曲げて死角を設けたものです。

落合宿には宿場の両側にあります。ここは上町の桝形です。


宿場通りには四基あり、寛政4年に建てられました。その一基です


宿場通りから30m南に入ったところに、中央山高福寺という寺があります。

1543年創建の阿弥如来を本尊に祀る浄土宗の古寺です。

庭園の苔が美しく、樹齢200年以上の江戸彼岸桜は春を告げる暦桜と呼ばれており、境内には徳本上人の名号のほか仏像が多く祀られ、俳人崇差坊の墓もあります。

ここのお寺は予約をすれば写経の体験も出来ます。

詳しくは中央山高福寺にお尋ね下さい。   

電話 0573-69-4746


島崎藤村の小説「夜明け前」に出てくる稲葉屋跡

青山半蔵の内弟子、林勝重の生家跡です。屋号は泉屋といい造り酒屋を営んでいました。

また、俳諧美濃派の宗匠崇左坊の生家です。

落合本陣の一軒おいて右隣にありました。

(残念ながら現在は残っておりません)


国史跡となった貴重な建物です。

是非お立ち寄りください。入館料は無料です。

なお、会館日は3月~11月までの期間、毎週日曜日と祝日(AM9:00~PM4:00)です。

ただし、10名以上団体のお客様は曜日にかかわらずご案内する場合がございます。

詳しくは、お問い合わせページに記載の電話またはFAXにてお尋ねください。




隣家との境の壁を屋根まで伸ばし、その壁の上に屋根を付けたもので防火壁の役目をしておりました。


こちらは、下町の桝形地形です。

中町を通り下町に至ると90度直角に折れる道となり、中山道は京へと向かって行きます。


曹洞宗のお寺で、本尊は釈迦如来で円仁(慈覚大師)の作と伝えられ、慶長5年創建。

庫裏、位牌堂からなり『門冠の松』は落合のシンボルの一つです。

予約すれば座禅の体験も出来ます。  

詳しくは 善昌寺 

電話 0573-69-3649 までお尋ねください。

 


=お伽藍さま=

木曽義仲の家臣、落合五郎兼行の屋敷跡と伝えられる。 

ここには、山の神、天神様など4つ神が祀られている。また、縄文土器、弥生土器に続いて平安時代の竪穴遺跡なども発掘されています。


水戸の天狗党が京都へ向かう途中、落合宿を通過した折、党紀に違反した熊谷三郎が惨殺された。

それを哀れんだ地元の人々により、墓碑を建て供養されています。


ここからは落合宿を眺むことが出来、木曽川や棚田の美しい景色もみられます。


白木を取り締まる番所が延享2年(1745)から天明2年(1782)までの37年間置かれていた。

また、越前屋という三文餅が有名な茶屋がありました。

 

現在、この場所で喫茶店が開かれ、三文餅がこのように売られています。