ー 落合宿本陣 -

 

本陣は町の真ん中ほどにあり、大名や高貴の方の宿である。建物の内部は、上段の間を奥にその前には幾つもの部屋があり、外からの侵入を防ぐ工夫が施され、抜け穴まであったという。

文化元年(1804)と文化12年(1815)の二度の大火に見舞われたが、文化15年(1818)に再建された。(今から約200年前)建坪132坪(436㎡)、敷地は約321坪(1060㎡)と記されている。 

 

明治14年に、今までの板葺平屋の建物を、土蔵造二階建てに立て直してあるが、玄関から上段の間までの内部、加賀の前田候から火事見舞いに拝領したという正門は昔のままである。 

 

美濃17宿で往事の姿をとどめている本陣は・・・    

落合宿本陣が唯一である。

 

ー 本陣とは -

 

江戸時代に街道の宿場町に設けられた、最も格式の高い旅の宿のこと。今の高級旅館のようですが『特権階級の人専用の施設』で、限られた人しか利用できなかった。

 

本陣を営む家は、広い屋敷を持っ各土地の有力者が任命されて、代々世襲でつとめていた。

本陣の創設時期は、大半が参勤交代の制度化された寛永12年(1635年)前後に開設された。

 

本陣正門について

 

中山道から見て左側にある本陣門は門構え、玄関付きである。

本陣井口家は美濃・千村方の庄屋をしており問屋も兼ねていた。

 

現在ある門は、文化年間の大火後、加賀100万石の前田候より家事見舞いとして贈られたものと伝えられている。


乳鋲(ちびょう)

 

お乳のような形をした金具は門の扉などに飾りとして打ち付けてあり、半球状に膨らんだ金具をいいます

これ自体は門扉の釘隠しであるようです


入八双(いりはっそう)

 

これは、先端が魚の「鯖の尾」とも呼ばれる

門扉、板戸などに打ち付ける装飾用の金具です

 

形により八双、出八双などがあります

 

 

猪目(いのめ)

 

ハート型はイノシシの目を意味し、強い動物の力で災厄をさけて福を呼ぶという厄除けの文様

 

日本では昔から神社やお寺の建築装飾に「猪目」が取り入れられてきたようです

 

 

本陣門を潜りどうぞ中へお進みください!


タラヨウ 

 

本陣門を潜ると左手にタラヨウの木がある、この葉の裏にはペンを使わなくても字を書き入れる事が出来ることから、通信手段の一つとして使われていた。

本陣やお城でもこの木が植えられている所が多いようだ。

 

下図のように、枝でなぞるだけで鉛筆で描いたような黒い跡が残る。

 

式台玄関 

 

大名や高貴な方が出入りする玄関で、客を送迎し挨拶をする部屋として使われていた。

 

一般のお客様は右の出入り口です。

 

 

本陣奥座敷の様子 

 

右奥に見える部屋は一段高く、しかも格式高く造ってあり大名や高貴な方がお休みになった場所である。

 

次の間、小姓の間、二の間、三の間、六畳の間、鞘の間、台所土間、式台など幾つもの部屋があり、外からの侵入を防ぐ工夫がされている。

 

詳しくは、ご来訪の際、私どもガイドボランティアがご案内します‼

  

ー 落合宿本陣略年表 -

 

文化元年 (1804) 落合宿大火、44戸焼失

文化12年(1815) 落合宿大火、55戸焼失

文化15年(1818) 本陣復興

文久元年 (1861) 皇女和宮が降嫁の途中に小休止

元治元年 (1864) 水戸天狗党が宿泊

明治13年(1880) 明治天皇ご巡幸の折、小休止

明治14年(1881) 本陣大規模修理

平成22年(2010) 落合宿から新茶屋までの2.5Kmが本陣を含め「国史跡」に指定

平成26年(2014) 本陣を井口家より中津川市が購入

平成29年(2017) 3月より一般開放(土間からの見学)

平成30年(2018) 3月より一部、上段の間近くまで見学可能となる